週一映画館

週一映画館

映画のレビューと音楽活動、筋トレブログです。

虐めと「原因」について

f:id:guiter8888:20210606213632j:plain
格闘家の朝倉未来選手が、虐めについて苦言した事が物議を醸しているようです。
未来選手は虐められる側にも原因があると言っています。

実際この意見はよく耳にしますが、はたしてそうなのでしょうか?
虐められる側にも原因があるのか?
 
苛める側は面白いから虐めるのです。
自分より弱いから面白いのです。
弱い事が虐められる原因になるのでしょうか?
 
虐めが原因で死んでしまった人は殺されたも同然です。
弱い事が原因で殺されたというなら、幼稚園児や障害者を狙った殺人もそうなります。
弱い事は罪なのでしょうか?
万死に値するのでしょうか?
 
100%虐める側が悪いに決まっている。
これは朝倉君も認めている。
死を選ぶなら強く生きて欲しいという言葉も本音でしょう。
しかし、「虐められる側の原因」という発想は明らかに強弱の発想なんです。
「虐められる原因」なんてものは存在しません。
 
「原因」というのは基本的に改善しなければならない負の要素。
格闘家のようにそれを生業としている者ならいざしらず、ごく普通に生活している人にとって、弱いという事が死を招く程の原因になどなろうはずがない、いや、なってはいけないのです。
そんな物が原因になってしまえば、あまつさえ理不尽な殺人や暴力にさえも、ありもしない被害者の落ち度を考えなくてはいけなくなります。
 
弱者だからという事が原因になるのであれば、世に女性専用車両は生まれなかったはず。
男がいれば女もいるのと同じで、強い人もいればそうでない人もいる
極論かもしれませんが、わたしはそう考えます。